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他覚的に決められる病気

「病気とは何ですか? 」

そんな質問が向けられることがあります。

病気とは、身体的、精神的、社会生活を営む上でのトラブルをいい、自覚的か他覚的かによって捉え方も変わってきます。
自分が病気だと感じれば、それはそれで病気になり、本人が病気でないと言っても医学的検査によって病気と決められたりもします。

病気を考える前に、考えなければならないことがあります。
社会生活を営む以上、その社会を作っている国の政策によって決められた規則やルールがあり、その上で本人と関係なく病人にさせられることもあります。
決して病気は個人で決定し、処置できるものではないのです。

医療産業が発達している国においては個人、本人の決定はあまり重要視されず、ルールに則って処理されます。
その結果、医療ミスや医療過誤等の問題も起こります。
間違いなく病気は個人の問題なのに、個人では解決できないことが多く、勢い国や病院に頼ることで必要のない問題や事故に遭うのです。
身体的な病気と確定しているのであれば、その処置は的確に対応してもらえるのかというとそうではないし、精神的な病気と捉えられてもどう対応してくれるのか、ということも確かな方法がない。
社会生活を営む上でのトラブルに対して、誰が適切に対応できるのか。

つまり、どれもこれも病気と診断されても良くなる保証などないのでです。
そんな不安を抱えているだけでも病気になってしまう。

無責任な医療機関にかかった先に

病気とは、自分で確定するものでもなく他者が決定するものでもないのです。
身体的、精神的に不具合があるのは事実として、それを病気と確定するのは誰なのか。
他人に身を委ねるのなら、それ相当の覚悟が求められます。

しかし現実にはそんな覚悟などしていない……
にもかかわらず簡単な手術だといわれて手術室に入って、出てきた時には死亡している、ということも起こっています。
ガンの放射線治療によって死期を早める人もいます。

手術前には病院は承諾書を書かせます。
そんな不確かなことを行なうのだから、自己責任において何が起ころうが受け入れることを約束させられます。

身体は確実に病んでいるけれど、病人にはなれないという現実。
いったん病院に入院すれば勝手なことは許されない。
自分では病気と思っていても口外できない、たとえ口外したとしても医療機関とは関わりたくないという思い。

自分の無知で飼っている犬が病気になり、獣医に任せたところ死んでしまった。
獣医に任せて良かったのか、任せなければ良かったのか、すでに犬はこの世には居ない。
誰に相談すればいいのか、何を相談すればいいのか、もう犬は戻ってこない。

病気に対する責任の所在

「病気」を考えた時、医療機関に頼り、自覚症状を訴えていいのか、任せていいのか、言いなりになっていいのか等の問題があり、かといって別の方法があるのかというと、ほとんどの場合、そんな方法はない。
かくして、「この病気は確実に病院に行くべきものなのか」という判断もできないまま病院に行くしかない、となるのです。

身体的に不都合やトラブルがあるからといって頭から病気と決めつけて、病院に任せるというのはある意味自己放棄であり、自殺行為です。
病気は他人事ではなく、自分事です。
自分があるからこそ起こったことであり、その責任はこれまでそんな自分を生かしてきた自分にあるのです。

そんな自分が、他人任せになってしまう自分の病気に対して、ただ「病気」として捉えていいのだろうか。
自分にも病気にも責任がある。
この全部を考えた上で「病気」を考えなければならないのです。

「自分は病気」と言った段階で、自己責任が発生します。
慎重に自分が病気なのかどうか、そしてもしそうだとしたらその後どうするのか、仕事のこと、家族のこと、経済のこと、etc……
その上で判断して、病院へ行くかどうかを決めなければならないのです。

そんなことを前もって考えていたのなら、生活の仕方も、生き方や考え方も、未来への取り組みも違っていたはずです。
そんなことが考えられないということそのものが「病気」で振り回される人間になってしまうということなのです。