読脳アカデミー・CWインターナショナルスクール本部には併設の読脳カフェがあり、本部スタッフが読脳カフェセラピーを行なっています。
その中にも医療者をやめて、伊東氏の下で活動をしているスタッフがいます。
本部スタッフの一人、市木武志さんは、2008年にスタートした「その人研究―その人療法セミナー」西日本の1期生です。
安定した職だと思い柔整師になったが
「私は、学生時代はラグビーやボクシングなど、ケガの多いスポーツをやっていたため、柔整師のケアを受けることが多く、いつの間にか自分もその道を目指すようになりました。
もともとはスポーツトレーナーになりたいと思っていたのですが、日本では確立された資格はなく不安定な職業でした。
国家資格の柔整なら世間的にも認められ、それなりの技術を身に付け、安定した職だと思い、柔整の道に進むことにしたのです。
しかし、実際の現場は思っていたものとはまったく違う世界でした。
当時は柔整の専門学校が少なく、入学するのにもコネが必要という時代だったため、コネを作るための接骨院勤務を1年間やり、そしてようやく院長から推薦状をもらって受験、入学できました。
晴れて柔整師学校に入学してからも3年間その接骨院で働きました。
無事卒業し柔整の資格を取得した後は、お礼奉公にもう1年。
つまりコネ作りから5年間はその接骨院で働かなければならないという縛りがあったのです。
お礼奉公が終わった後は開業も考えましたが、この仕事が自分の一生の仕事になるのかどうかという迷いもあり、結局は大手が経営する接骨院で雇われ店長で働くことにしました。
「良くしてしまう」と経営が成り立たない
「この仕事が一生の仕事」と思えなかった理由は、患者さんになるべく長く通ってもらうことが接骨院の経営のためには必要なのです。
症状が良くなり患者さんが来なくなると困るのです。
そんなジレンマがありました。
本来なら患者さんの症状が良くなって、もう通院しなくてもすむようになることを願って施術すべきなのに、そうなってしまうと困るという気持ちをどこかに持ちながらの治療……。
一進一退の状況を作ってずっと長く通ってもらうことが接骨院にとってはベストなのです。
それは治療家として良くしてあげたいという気持ちとは相容れません。
店長といえば聞こえは良いのですが、実際の業務といえば患者さんに続けて来院してもらうための営業トークが責務でした。
施術が効いていようがいまいがとにかく来院してもらうために働きかけなければならないのです。
人の役に立てる仕事だと思って選んだ道なのに……、という思いを封じ込めてやっていくしかない日々。
また、パーキンソン病で通院している馴染みの患者さんを良くしてあげたいと努力しても、何もできないことに落胆。
自信も失っていきました。
そんなある日、患者さんからのクレームが……。
「施術後に首が痛くなった」との訴えでした。
自分が担当した患者さんではないため本当のところはどうなのか分からない状態でしたが、店長として何とか穏便に済ませたいと謝罪。
金銭補償で解決することになり、すっきりせず納得できていませんでした。
そんなことがきっかけとなって柔整師を続けていくかどうか迷っていたとき、CW療法のセミナーの案内状が来て、「脳の情報を読む」という言葉が心の中に響いたのです。
伊東先生と出会い、柔整師を辞める
あの時のクレームは本当のところどうだったのだろう、脳の情報が読めれば分かったかもしれない、このセミナーに出れば分かるかもしれない、という思いを抱きながらセミナーに参加しました。
そして伊東先生に出会いました。
最初は、「すごい技術だ、これを身に付ければいろんな人を治せる!」と思いましたが、勉強していくうちに「病気・症状とは、その人の人生そのもので、起こるべくして起こっている」ということも分かってきたのです。
病気・症状を起こしている原因を知るために読脳し、過去を遡り、未来を読んでいくというもので、これまでの治療の概念とはまったく違うものでした。
それに比べると自分が今までやってきた治療家と患者の関係が不毛なものに思えてきたのです。
セミナーで学ぶ中で柔整師の仕事を続けていくことがますます苦しくなり、とうとう柔整師をやめ、妻と当時1歳の娘を連れ、福岡から上京し、伊東先生の下でスタッフとして学ぶことにしました。
11年前のことです。
現在は、スクール併設の読脳カフェでセラピーや個人指導を行なったり、スクールで実技指導を行なったりするようになりました。
「CW Happiness Philosophy読脳」メソッドの勉強も続け、2016年3級認定を取得し、2017年9月、他の認定者とともにブラジルセミナーに講師として派遣されました。
海外での反響 「”DOKUNO”」
ブラジルセミナーは大盛況でした。
やはり本物が求められている、と実感しました。
ブラジルの受講者は、日本人に比べると感性が良く、反応も早いのです。
良いと思えばすぐに反応してくれます。
求めてくる人に応えるということがとても楽しく、そして大きなやり甲斐を感じました。
セミナー会場に集まった600人が一つになったような一体感がありました。
それは、医療のセミナーというよりも、ホモサピエンスとしてどう生きるか、という方向性をもった内容でした。
通訳を介しての講演でしたが、人と人は繋がっているということを、伊東先生が実際に実演して証明して見せました。
それが大きな反響を起こし、会場がわぁーっと盛り上がりました。
言葉の壁を越えて多くの人の中に響いたと感じました。
今後はアメリカやヨーロッパでも海外セミナーを展開していく計画です。
読脳アカデミー・CWインターナショナルスクールで学び、認定資格を取得した人には海外講師としての道が開かれています。
私ももともと海外に興味があったので、海外講師の道が拓けたことに大きな夢と希望を持っています。
医療者、セラピストにもまだ希望はある
柔整師は骨折や脱臼などの応急処置がもともとの専門ですが、今はその分野を整形外科が担うようになってしまい、柔整院は生きていく道が閉ざされほとんど厳しい状態になっています。
私は人の役に立つかもしれないと思って医療の道に入りましたが、医療を学んでもあまり人の役には立たないと、今では思います。
『人』というものを知らない限り、人を良くするということはできないと思います。
でも、医療者は(患者の)体だけしか診ていない。
その人全体というよりその人の存在には興味ないし、そこまで関わる気持ちもありません。
柔整師は患部を診て触れマッサージしたり電気をかけたりの施術をするだけです。
私には、そんな関係が不毛に思えていました。
これが人生を賭けた仕事だとは、とうてい思えませんでした。
体と心はつながっている。
ですから体だけ良くしようとしても無理です。
私はそれに気付いて自分が医療の道に入ったことを後悔していました。
そんなときに伊東先生に出会って「CW Happiness Philosoph 読脳」メソッドを学ぶことができ、迷い道から抜け出すことができました。
海外講師としてブラジルに行った時に、求めてくる人に応えられるということに大きな幸せを感じました。
本当はそんな幸せを求めて柔整師になったはずでしたが柔整師の世界ではそういう気持ちになることはありませんでした。
今やっていることこそ、自分が本当に求めていた道だと実感しています。
人の役に立てるということは幸せなことだと思います。
私と同じ思いの医療者やセラピストにぜひこのブログを読んでいただきたいと思います。
諦めることはありません。
まだチャンスがあります。
本当に人の役に立て、自分が幸せになれる、そんなメソッドがあります! 」